5分で学ぶロバート・ノージック【リバタリアニズムの古典】

目次

1. ノージックとリバタリアニズム

 正義論におけるリバタリアニズムの地位が確固たるものにしたのが、ノージックによる『アナーキー・国家・ユートピア』(以下ASU)です。この本が登場する以前はアイン・ランドの思想や極端な市場原理主義者に過ぎないと考えられていたのがリバタリアニズムでしたが、ノージックの卓越した議論によってその評価を一変させることになったのです。

 しかし、実のところノージック本人はASUによる評価に対しては快く思っていないようでした。というのもASUによる業績があまりにも大きすぎるために、そのほかのノージックの議論が注目されなくなってしまったからです。ノージックはASUに関してこのように言っています。

〔私が〕主に初期の業績によって知られているというのは不満がある。私のことを「政治哲学者」であると考えている者がいるが、私自身は自分をそのようにはとらえていない。〔というのも〕私の著作や関心の大部分は他の事柄に向けられてきたのだ。

 『アナーキー・国家・ユートピア』は事故だった。〔・・・〕社会哲学や政治哲学は真剣に取り組んではいたが、私にとって最も重要な関心ごとではなかった。

Nozick 1997, p.1.

 皮肉なことに、ASUがリバタリアニズムの思想を打ち立てることに成功してしまったことはノージックにとって望ましくない結果をもたらしました。とはいえ、ASUで展開される議論はエキサイティングで素晴らしいものであり、それは現在でも熟読の価値を有するものです。

 本書は三つのパートに分けられています。第一部「自然状態の理論、またはいかにして、実際に試みないで国家へと戻るか」は、無政府主義者に対して最小国家は正当化可能であることを示す議論が展開されます。第二部「最小国家を超えて?」は、その最小国家を超える拡張国家は正当化できないことを主張します。ここでジョン・ロールズの『正義論』に対する反論が行われています。第三部「ユートピア」は、参加と脱退が自由にできる共同体が複数ある状態をメタ・ユートピアとして最小国家を理解することで、最小国家というものが魅力的なものであると示します。ASUは多様なトピックが論じられていますが、中でも重要な論点をピックアップして紹介します。

2. 権利の概念:横からの制約

 ASUの序文は以下の有名な記述から始まります。

個人は権利を持つ。そしていかなる個人や集団も(その権利を侵さない限り)

行えないことがある。

Individuals have rights, and there are things no person or group may do to them
(without violating their rights)

 ノージックによると、個人は他者による侵害をうけない道徳的権利を持ち、これを「横からの制約」(side-constraints)を持つと主張しています。なぜそのような権利があるのかはあまり明快に書かれていません。しかし、この権利は義務論的な性質を持つものであり、これを導入した理由に功利主義を反駁する目的があったことは確かです。この横からの制約によって、すべての個人はその人格をそれ自体として尊重されるという「人格の別個性」があるということが主張されるのです。

 権利の基礎付けとして解釈できるものをもう一つあげるとするならば、人生全体に関して全般的な計画によって行動し、自分の人生に意味を与える能力をもつ存在だけが意味ある生を有するというものがあります。しかし、この議論自体まとまった形で提示されているわけではなく、さらにこれがなぜ権利の基礎付け足りえるかも不明瞭です。

3. 最小国家論

 第一部の目的は無政府主義者を反駁して最小国家を擁護することです。そのために、ノージックは、いかにして先述した個人の権利を侵すことなく国家が誕生できるかを論じます。

 まず自然状態というものが想定されます。そこでは、国家というものはまだ存在せず自然人が自由に暮らしています。そこである問題が発生します。というのは、もしある人たちの間でトラブルが発生した場合は、国家が存在しないので自分たちで交渉して解決する必要があります。

 しかし、疑わしいことがあれば常に自分に有利に解釈して、自分の方が正しいと主張することが予想されます。このような状況に対応するために、個人が他者と集まって「保護協会」を作り出します。この保護協会が司法的な存在としてメンバーを保護することになるのです。しかし、実力があるために、この保護協会に参加するメリットを見出せず自然状態のままでいようとする「独立人」が存在します。このような人物にはどのように対応するべきでしょうか?

 ノージックは、そのような人には保護サービスを提供する代わりに実力行使を禁ずるだろうと述べます。そして、このようにして保護協会は、すべての自然人を取り込んで国家となるのです。自然状態ではどうしようもできない問題を解決するために国家が出来上がったのであり、個人の権利を侵害せずとも成立できています。これが最小国家の正当化です。

4. 権原理論

 ロールズに反論するためにノージックは、所有に関する歴史的権原理論を打ち出します。これは、➀専有(appropriation)または獲得(acquisition)における正義、➁移転(transfer)における正義、➂匡正(rectification)における正義の三つの正義から成り立っています。この正義が示していることは、ある人物がある特定の財を保有することの正当性は、それがどのようにしてその者の所有に至ったかに依存するということです。

 以上の正義に則って、ノージックは自由と平等は両立しないことを言います。なぜなら、人々が自由に財を得て交換をするのであれば、「財産をいかに平等にしようとも、人々の技術、管理そして勤勉の程度の相違は、たちまちその平等を打ち砕くであろう」からです。このことを論証するために、ノージックは有名なウィルト・チェンバレンの例を出します。

 まず、ある配分状態をD1としましょう。するとプロバスケットボールの選手であるウィルト・チェンバレンがいたとします。

 彼はあるチームとの次のような契約にサインする。〔・・・〕ホーム・ゲームの各試合で、入場券一枚につきその代金の中から二五セントは彼が取る。〔・・・〕一シーズンで百万人が彼のホーム・ゲームを見に来て、ウィルト・チェンバレンは二五万ドルを手にしたが、この額は平均収入よりずっと多く、それどころかだれよりも多い、と仮定しよう。彼にはこの収入を得る権原があるだろうか。この新たな分配D2は不正義だろうか。

(Nozick 1974, p.161.)

 チェンバレンがプレーするゲームを鑑賞する代金を入場者から集めることで、最初の分配状態D1から新たにD2に移行しました。後者の分配状態は平等ではなかったとしても、その移転には不正がないのであれば、D2はなお正義にかなった分配状態なのです。にもかかわらずこれに介入を行うのであれば、それこそが正義への侵害であるとノージックは主張します。

 しかし、移転が正義にかなうためには、その財が最初に獲得されるときにそれが正義にかなっているかどうかを判定しなければなりません。最初に不正があれば、それ以降の移転もすべて不正なのです。

 獲得が正義にかなっているかどうかを判定する条件として、ノージックは「ロックの但し書き」を導入します。これは、財を獲得するときに、まだ残っている財が「他の人々にも十分に、同じようにたっぷりと」(enough, and as good)あることが満たされれば、その獲得は正義にかなっているという条件です。例えば、水を汲むことができる井戸が一つしかない場合は、その井戸を独占することは正義にもとる行為になるのです。このようにして、ノージックはいかなる獲得をしてもよいと言っているわけではありませんが、実は、ノージックとロックの但し書きの関係は複雑なものとなっています。

5. 結論

 非常に簡単ではありましたが、ノージックのASUで特に重要なトピックを紹介しました。ノージックの本は面白く読めるため、実のところ解説など読まなくても自分で読むのが一番いい、と思います。

参考文献

Mack, E. (2018) “Robert Nozick’s Political Philosophy”, Stanford Encyclopedia of Philosophy, https://plato.stanford.edu/entries/nozick-political/#HisEntDocAboJusHol (最終閲覧日 2021年9月22日).

Nozick, R. (1974) Anarchy, State and Utopia, Oxford: Blackwell.

—————(1997) Socratic puzzles, Cambridge: Harvard University Press.

ウルフ、ジョナサン(1991)(森村進訳)『ノージック 所有・正義・最小国家』勁草書房。

森村進編(2005)『リバタリアニズム読本』勁草書房。

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この記事を書いた人

北九州市立大学法学研究科法律専攻修士課程所属、専攻は正義論。

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