『リバタリアンが社会実験してみた町の話』レビュー

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本自体について

アメリカのニューハンプシャー州で2000年代から進められているフリータウン・プロジェクトに対して住民の視点を重点的にフォーカスして描いたノンフィクション。個人のリアルな意見を知るのには向いているが、プロジェクト自体にフォーカスして知りたい人には不向きかもしれない。正直なところ邦題が釣りであり、熊をメインとする自然の厳しさに重きを置かれている。。

章ごとに住民フォーカス、プロジェクトフォーカスが入り混じっており、あくまでノンフィクション作品として楽しむべきである。

事前予想と答え合わせ

「リバタリアン原理主義者が移住してもとからいた住人と軋轢」:生じていないとは言わないが、田舎に移住して元居た住民と対立、といったテンプレとまではいかなかった。歴史や文化的に独立自営の気風があり、かつ田舎的ななれ合いが比較的少ない地域を選択していることが理由として挙げられる。

「市場で解決できない問題に対しても市場原理を持ち込んで混乱」:市場原理も何もなかった。田舎過ぎて選択肢がない。

「地域的な活動に対して一切協力せず腫れ物扱い」:特にこのような描写は見当たらなかった。

「リバタリアニズムはあかんな、的な結論」:否定的な論調ではある。

フリータウン・プロジェクトについて

町の選定などは歴史や文化、事前ヒヤリングなどを行なっており、日本の田舎イメージとは分けて考える必要がある。しかしながら、リバタリアニズムを理念とはしているがフォーカスしてるのは主に税金の削減である。しかし削減した公共サービスに代わる代替案はなく、単なる公共サービスのみの部分最適化にとどまっている。

フリータウンプロジェクトを掲げ一定数の人口は流入しているが、経済や産業が生じているわけではなく、総じて理想に対して現実的な視点が欠けている印象。

コミットメントの問題

ある思想を持つ人が地域社会の中でコミュニティを形成し、地域社会に影響を及ぼそうと考える場合、どうしてもコミットメントの問題が生じる。プロジェクトに基づく移住者はプロジェクトの問題や個人的な問題から再び移住することは考えられる。

しかし元の住民はそうではない。

もちろんどこに住むかは個人の自由ではあるが、地域社会へのコミットメントの度合いに応じて意見の重み付けを変えることや、何らかのコミットメントの確約を行うといった形で、コミットメントとリバタリアニズムの相性の悪さを克服する必要性がある。

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この記事を書いた人

東京大学文学部卒。
本サイトでは、リバタリアニズムと呼ばれる思想について、私が勉強した内容を中心に発信しております。
気になる論文を紹介したり、研究者にインタビューするYouTubeチャンネルも運営しております。

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