「自由が大事」とは言うけれど、、、
リバタリアニズムは個人的自由と経済的自由を重んじる考え方、というのがまず最初にリバタリアニズムについて知る内容です。次に考えるべきことは、ここでの「自由」とはどんなことを指すのだろう?というお話です。
「え、自由って、自分が好き勝手ふるまうことができる、って話じゃないの?」と思った方も多いでしょう。しかし、リバタリアニズムを含む様々な政治哲学は、どのような「自由」を守るべきか、について意見が分かれています。
まず、「自由」について2つに分類したあと、それぞれの考え方が一般的にどちらを重んじているのかについて見ていきます。最後に、最新の考え方について言及します。
自由についての2つの種類
自由については古今東西、様々な学者が定義や議論を試みています。ここでは、イギリスの哲学者アイザイア・バーリンが提唱した2つの自由の概念について見ていきます。
もちろん、この定義自体も様々な批判や解釈がなされていますが、1970年代に提唱されてから現在まで言及されていることを踏まえると、今でも有効であると言えるでしょう。
消極的自由
消極的自由は簡単に言ってしまうと「縛りや邪魔がない」という自由です。
例えば自分がお金を持っているときに、「そのお金をよこせ!」といって奪われたり、「そのお金はこう使いなさい!」と命令されたりしないときは、自分のお金について「消極的自由」があると言えます。
消極的自由の概念の歴史は古く、ホッブスから始まり、ロック、ハイエク、ノージックといった著名な古典的自由主義者はこの消極的自由に基づいて議論を展開する場合が多いです。
積極的自由
それに対し、積極的自由とは、簡単に言ってしまうと「自分の意志で好き勝手にできる」という自由です。
例えば先ほどのお金の例を考えると、実際にお金を使って買い物ができるのが積極的自由です。
ビルを買う消極的自由はほとんどの人が持っています。でも、実際にビルを買うことができる積極的自由を持つ人は少ないでしょう。
積極的自由に関してはルソーやマルクスといった思想家が擁護しています。
どちらの自由を擁護している?
大雑把に言ってしまうと、以下の通りです。
消極的自由→リバタリアニズム、古典的自由主義
積極的自由→リベラリズム、マルクス主義
消極的自由をリバタリアニズムや古典的自由主義が重んじる理由は、単にそれだけで十分だからです。逆に、積極的自由の価値を認めること、ましてそれを政府が保障するのは、つまるところ私たちが自由に振る舞っていいかどうかは政府が判断することだ、というお墨付きを政府にあげることになってしまうと考えます。
一方、積極的自由をリベラリズムやマルクス主義が重んじるのは、消極的自由だけでは不十分である、と考えるからです。誰にも邪魔されない、というだけでは価値がなく、実際に出来ることを重要視します。
もちろん、誰しもが積極的自由が欲しいです。「ビルを買うことを邪魔されない権利」よりも「実際にビルを買うことができる権利」の方がいいですよね。私だってビル、買えるなら買いたいです。
しかし、ここでポイントとなるのは、
積極的自由(例えば、実際にビルを買うことができる権利)を政府が擁護していいのか?
という問題です。
さて、定義の違いについてはこの辺にして、実際のケーススタディから、それぞれの自由を擁護することのメリット、デメリットについてみていきましょう。
ケース1:最低賃金引上げ
最低賃金を法律で定めること、あるいは政府が最低賃金を引き上げることは、しばしば貧困対策の観点で主張をよく見かけられます。
誰しもが1500円以上の時給で働ける積極的自由が保障される
雇用主がだれにも邪魔されずに賃金を決められる消極的自由がより失われる
一方の積極的自由を拡大することで、もう一方の消極的自由が減少してしまう典型的な事例です。
ここで問題となるのは、「最低賃金引き上げが貧困対策となるのか?」という点です。そもそも貧困対策として有効でないのであれば、どちらの権利をより尊重するか、という問題以前の話となります。
川口&森(2009)によれば、最低賃金で働いている労働者のうち約半数は世帯年収500万円以上の世帯員であること、最低賃金を引き上げることで10代男性労働者と中年既婚女性の雇用を減少させると指摘しています。最低賃金引き上げは貧困対策としてそもそも効果的とは言えない、という論文です。
もちろん、働く立場からしたら最低賃金が高いことはうれしいです。一方で、働かせる立場からしたら、最低賃金が高くなることで雇える人数が減ってしまうのは想像がつきます。高い時給で働けるがそもそも間口が狭いのと、高い時給ではないが間口が広いのどちらが好ましいか、という話になってきます。
ケース2:生活保護制度
生活保護に代表される社会的セーフティネットは現在の日本では当たり前の制度になっています。しかし、原理主義的なリバタリアニズム(最小国家論者など)は、セーフティネット構築のために政府が税金という形で財産を没収することに対して異議を唱えています。彼らによれば、政府に頼らずとも人々の自発的な助け合いによってセーフティネットは成立する、という理由が見られます。
誰しもが健康で文化的な最低限度の生活ができる積極的自由が保障される
財産を侵害されないという消極的自由が失われる
生活保護制度の有無ともたらす効果などをシミュレーション的に比較した論文は私がざっと調べた限りでは見つけられなかったです。ただ、今後の財政負担を考えると、現行の生活保護制度に対してなんらかの制度的な見直しが必要になる可能性があります (任琳 2014)
私見ですが、生活保護に代表される社会的なセーフティネット自体はなんらかの形で存続させる必要は極めて高いと考えています。他者に対して支援を行う宗教的・道徳的な機運が高まらない限りは、人々の自発的な行動に期待するのではなく、自治体による制度としてのセーフティネットの構築が不可欠でしょう。
まとめ:どちらの自由が適切かは分野ごとに考える必要あり
これまでの議論を見ていくとわかる通り、積極的自由・消極的自由の議論はあくまで枠組みを提供してくれるものと考え、個々の分野においては、実証的な研究をベースに、どれくらいのバランスで行くかを決める必要があります。
リバタリアニズムや古典的自由主義は積極的自由を擁護しません。そのため、セーフティネットの構築などの議論においては、原理からやや外れてしまうこともあり、リベラリズムと比較すると根拠が弱いという指摘がありました。(Brennan and Tomasi 2012)
そのため、最近提唱されている新古典的自由主義(Neoclassical liberarism)では、古典的自由主義を基調としつつも積極的権利や社会的正義を擁護することで、より原理としてセーフティネットの構築を擁護しています。
今後、消極的自由と積極的自由を議論するにあたっては、政治哲学において伝統的な概念に関する研究に加えて、経済学において実証的な研究も含めた議論が必要になってくると考えられます。
参考文献
川口大司, & 森悠子. (2009). 最低賃金労働者の属性と最低賃金引き上げの雇用への影響 (特集 最低賃金). 日本労働研究雑誌, 51(12), 41–54.
Schmidtz, D., & Brennan, J. (2010, March 10). Conceptions of Freedom. Cato Unbound. https://www.cato-unbound.org/2010/03/10/david-schmidtz-jason-brennan/conceptions-freedom
Brennan, J., & Tomasi, J. (2012). Classical liberalism. In D. Estlund (Ed.), The Oxford Handbook of Political Philosophy (pp. 115–132). Oxford University Press.
任琳. (2014). 生活保護制度の研究: 全国都道府県および大阪市区分析を手がかりに改善・改革を検討. 桃山学院大学経済経営論集, 56, 165–185.
ローレンス・ハミルトン. (2021). アマルティア・センの思想: 政治的リアリズムからの批判的考察. みすず書房.
コメント
コメント一覧 (1件)
生活保護について:
> 政府に頼らずとも人々の自発的な助け合いによってセーフティネットは成立する
これは、実証実験しない限りは、恣意的に想定した「帰結」もとい願望ですよね。
批判1:
> 財産を侵害されないという消極的自由が失われる
財産を侵害されないという消極的自由が「生活保護」だけによって失われるのか、生活保護を止めた結果として増加した暴力団や特殊詐欺集団への警察コストによって失われるのか、など複数変数の組み合わせを吟味していない。
経験則として、前者の変数のコストが後者の変数のコストより穏当な手段である場合が多いと考えると、妥当性が言え得る。
また消極的自由すら複数種類あり内在的なトレードオフを必要とすることを上記の2項対立的な書き方だと見過ごしてしまう。(警察がより多くの権力を振るわざるを得ない場合では財産権だけでなく、身体的自由権なども侵害される。)
批判2:
「実質平等」を採用しない「充分性・ベースライン論法」であれば、誰からも「財産の移転」を伴わず「財産の初期の事前分配」と解釈しうるから、そもそもトレードオフの問題や権利侵害の問題は生じない。
批判3:
「有限の資源自体への所有権・財産権」はロックの但し書きに違反するとの批判が可能(ヒレル・シュタイナーの権利論)