近年、正義論におけるリバタリアニズムの領域で大きな思想的変換が起きています。それは新古典的自由主義という新潮流の出現であり、この立場の主張によってリバタリアニズムにのみならず、左翼リベラルにも大きな波紋が引き起こされました。本記事では、新古典的自由主義の簡単な紹介を行います。
1.新古典的自由主義の背景
新古典的自由主義(neoclassical liberalism)とは2012年にジョン・トマーシとジェイソン・ブレナンが打ち立てた思想体系です。他の主な論者としてマット・ツヴォリンスキがいます。
彼らはアリゾナ大学に所属していたことから「アリゾナ学派リベラリズム」(Arizona-school liberalism)とも言われ、「慈悲深きリバタリアニズム」(Bleeding-heart-libertarianism)と呼ばれることもあります。2021年時点では誕生してからまだ10年も経っていない思想であり、内容や定義に関して現在も議論が続いている状況です。
2. 他の思想との関係
新古典的自由主義の思想的位置づけをおおまかに言うと、経済的自由を重視する古典的自由主義と社会正義を重視する高尚リベラル(high liberal)を組み合わせたものと言えます。言い換えれば二つの立場の中間に位置するとも言うことができます。ここで言う高尚リベラルとは、ジョン・ロールズを代表にした平等的観点からの再分配の擁護を主張する現代リベラルの陣営を指します。
新古典的自由主義の論者によると、リバタリアニズムの立場を1)絶対的な自己所有権を中心の原理とし、2)その自己所有権から正義の原理を導出させ、3)社会正義を拒絶し、4)積極的自由を自由と認めないものとするならば、まず新古典的自由主義は自己所有権を正義論の出発点とはせず、社会正義を認め積極的自由をも許容するため、以上の意味でのリバタリアニズムではありません。しかし、経済的自由を重視する点で高尚リベラルとも異なります。
さらに、いわゆるネオリベラリズムとも異なります。ネオリベラリズムは曖昧とした立場であり、どのネオリベラリズムであるかによってその内実は大きく変わります。意味をはっきりさせるためにフリードマン・ハイエクの立場をネオリベラリズムとするならば、ネオリベラリズムが「社会正義」は混乱を引き起こす語であるとして批判する一方で、新古典的自由主義は社会正義が示す道徳的重要性を強調します。
3. 新古典的自由主義の基本的な特徴
ⅰ社会正義の肯定
社会正義とは、貧困者や抑圧されている者の救済をもとめる原理です。新古典的自由主義は、困窮者や社会的に抑圧を受けている者の利益を向上させる社会体制が道徳的に正当化されるべきであると考えることに大きな特徴があります。ここが既存のリバタリアニズムとの大きな違いです。
従来のリバタリアニズムもリバタリアン的国家が貧困者にとって良いものであると主張する場合はありますが、それは結果としてそうなるだろうという程度に過ぎず、リバタリアニズムが認める権利が優先されるためそれによって貧困者の利益が著しく損なわれたとしても構わないのです。つまり、リバタリアンの国家が貧困者に利益をもたらすのだとしても、それは偶発的なものであってリバタリアニズムにとっては本質的には重要ではないのです。
リバタリアニズムとは違い、貧困者に利益を必ずもたらす社会制度を要求するのが新古典的自由主義です。この立場は大きな論争を生み、従来のリバタリアニズム側からは「社会正義」という語の意味、その取扱い方に問題が起きてきたことを指摘し、その問題を乗り越えていることがリバタリアニズムの美点だったはずであると言われます。とはいえ、社会正義という言葉には見解の不一致があれど、貧困者の救済それ自体は良いことはリバタリアニズムも認めるはずです。問題はむしろ、社会正義を実現するプロセスにおいて行政の恣意的な介入をどのように排除するのかという点に求められます。
ⅱ経済的自由の肯定
社会正義を認めるのならば、それは左翼リベラル(高尚リベラル)と同じではないのか、と思われるかもしれません。しかし、新古典的自由主義が左翼リベラルではない決定的な理由があります。それは、新古典的自由主義は経済的自由を強く擁護することです。もちろん、左翼リベラルも経済的自由を認めていないわけではありません。身体の自由、表現の自由、思想の自由などの基本的な諸権利や諸自由の体系のなかに経済的自由は含まれていますが、それは「薄い」(thin)ものでしかないのです。
例えば、ロールズが提案した正義の二原理のうち、第一原理では基本的権利と自由が設定されています。この基本的諸自由に含まれる行為としては、政治的自由(投票権や公職就任権)・言論および集会の自由・良心の自由・思想の自由・身体の自由、そして個人的財産=動産を保有する権利と法の支配が規定する、恣意的な逮捕や押収からの自由が含まれています。
実は、以上のリストを見ればわかる通り、この基本的諸自由のなかに経済的自由(例えば、完全に個人の責任のもとで売買をする自由、スモールビジネスをする自由など)が入っていません(生産物ではない個人資産所持の自由と職業選択の自由を認めてはいますが)。
これに対して新古典的自由主義は、これは基本的諸自由から経済的自由を恣意的に排除していると批判し、これを「経済例外主義」(economic exceptionalism)と呼びます。なぜなら、権利や自由は、ある個人が社会で自律した生活を送るために必要であるならば、経済的自由も基本的自由としてみなさなければならないからです。現代の人間にとっては経済的領域での活動は必要不可欠であり、さらに必ずしもすべての人が政治的領域やそのほかの領域のみで活動することはなく、むしろ経済的領域で活動することを好む人がいることが容易に予測できます。そこで経済的自由を阻むのであれば、それ相当の理由が必要になります。このようにして新古典的自由主義は「厚い」(thick)経済的自由を擁護することになるのです。
しかし、ここで厄介な問題が起こります。それは、社会正義と経済的自由をどのように両立させるべきかという疑問です。そもそも左翼リベラルは社会正義のために経済的自由を制限したはずであり、社会正義と経済的自由の両方を同時に実現しようとする新古典的自由主義は自己矛盾に陥っているのではないかと思われるかもしれません。むしろ、それこそが新古典的自由主義の独創的な点であり、社会正義と経済的自由のどちらかを犠牲にしなければならないという枠組みそのものに異を唱えたことが新たな古典的自由主義たるゆえんなのです。どのように両立させるのかは本記事では紹介することはできませんが、左翼と右翼の従来の対立を超えようとすることが新古典的自由主義なのです。
ⅲ自己所有権を(リバタリアニズムほどには)重要視しない
リバタリアニズムの典型的な原理としては自己所有権があります。この原理に基づいて正義論を展開していくのですが、新古典的自由主義はこのアプローチをとりません。新古典的自由主義はPPE(politics, philosophy, and economics)アプローチというものを行います。PPEアプローチとは、制度の規範的分析には、制度がどのように機能しているか、実現可能な代替案は何かについて経験的な理解をしようとするものです。つまり、政治学や経済学の知見を使用しながら実際のデータに基づいて正義論を展開するアプローチです。
以上のアプローチをとることで、現実のデータの裏付けによる議論によって強い説得力を獲得することを目指し、より優れた正義論となろうとします。これが、自己所有権の原理が最も基礎的な原理とし、それを絶対的なものとして扱うリバタリアニズムとの違いです。
4. まとめ
新古典的自由主義の主要な特徴は、1)社会正義の肯定、2)経済的自由の擁護、3)自己所有権を強く重要視しないことでした。リバタリアニズムと左翼リベラル双方のドクトリンを批判的に受け継ぐことで、そのどちらにも還元されない新しい立場になっているのが新古典的自由主義なのです。
参考文献
Jason, Brennan(2011) ”Neoclassical Liberalism: How I’m not a libertarian”, https://bleedingheartlibertarians.com/2011/03/neoclassical-liberalism-how-im-not-a-libertarian/ (最終閲覧日 2021年9月8日)
Jason, Brennan(2018)”Libertarianism after Nozick”, Philosophy Compass, 13(2):1-11
Zwolinski, Matt(2011)”What is Bleeding Heart Libertarianism? Part One: Three Types of BHL”, http://bleedingheartlibertarians.com/2011/12/what-is-bleeding-heart-libertarianism-part-one-three-types-of-bhl/ (最終閲覧日 2021年9月8日)
ピーター(2021)「ロールズ正義論に対する古典的自由主義的解釈の検討」、https://note.com/peter_taropines/n/n736c4eafbb26 (最終閲覧日 2021年9月8日)
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