1年と1日後、ブロックチェーンは自由にする。あるいは国家について。

都市の空気は自由にする」ということばをご存じでしょうか。

時は中世、封建社会のヨーロッパ。領主に「保有」された農民は、農奴と呼ばれていました。

当時、領主の支配から脱するべく都市に逃れた農奴は、1年と1日の間都市に住みさえすれば、晴れて自由の身となれました(ただし、期間中に領主から異議申立てのないことが必要)。後年、歴史学者たちはこの原則を”Stadtluft macht frei”、すなわち冒頭の標語をもって表現したのです。

城壁に囲まれた当時の都市は、領主から自治権を勝ち取っていました。都市に自由闊達な空気が満ちていたからこそ、農奴は自由を勝ち取り、今度は自らも新たな自由の担い手になっていったものと考えます。

翻って現代。地球の隅々にまで支配を及ぼす「国家」のもとでは、あたかもかつての農奴が領主による支配を自明視していたように、わたしたちもまた、国家を空気や水のように当然のものと考えています。

ですが、本当にそうなのでしょうか。わたしたちは、農奴たちを井の中の蛙と一笑に付せるのでしょうか。すなわち、国家はそれ自体、自明な存在なのでしょうか

わたしは、ブロックチェーンこそが自由の空気を醸し出し、わたしたちに自由を与え、そして新たな自由の担い手にさせるもの(のひとつ)であると直感しています。

ブロックチェーンは自由にする。まずはその新しい空気を身にまとって、国家を、正義を、そして自由を、もう一度見つめてみましょう。

目次

おさらい:ブロックチェーンをもう一度

結局ブロックチェーンとは何なのか。ここでは、①何を用いて、②何を解決し、③何を生み出すのか、という観点から、簡単に説明します。なお、厳密性には欠けるのですが、ここでは大雑把にブロックチェーンを、「ビットコインのような仮想通貨を支える技術」と考えてください。

①ブロックチェーンは何を用いているのか:枯れた技術

岩村充『中央銀行が終わる日』では、ビットコインの仕組みは「枯れた技術の水平思考」だと言います。これは、任天堂のゲーム開発者であった横井軍平氏の謂いであり、既存の技術を組み合わせることで、新しいサービスを生み出す、という意味です。

「ブロックチェーン」と聞くと、何やら最先端の高度な技術なのだろうと思ってしまいますが、実は、暗号理論やゲーム理論といった既にある知見や技術の組み合わせによって実現されたものです。下に出てくる「電子署名」や「プルーフ・オブ・ワーク」はその典型です。

②ブロックチェーンは何を解決するのか:中央集権の弊害

通常、デジタルで表現された通貨での支払いには、支払いの証明二重支払いの防止が求められます。つまり、なりすましや改竄などを防ぐとともに、一度送ったコインを別の誰かに送ることをも防ぐ必要があります。

最も単純には、信頼できる第三者(例えば国家や銀行など)がこの二つを行えば良いのですが、当然それは、その第三者が不正を起こさないことが前提となります(これを、サードパーティリスクといいます)。

そこで、ブロックチェーン(特に、パブリックブロックチェーンと呼ばれるもの)においては、第三者の介在しない仕組みを用意します。支払いの証明は「電子署名」という技術でその証明を実現できます。

一方、二重支払いの防止については、ビットコインなどでは「プルーフ・オブ・ワークPoW)」という仕組みがこれを実現します。これは、ある参加者(マイナー)たちの暗号パズルを解く競争が、信頼できる第三者なしに正当な取引を認めることを可能にする、という仕組みです(詳しい説明は割愛します)。

繰り返しになりますが、これらの仕組みにおいては、国家や銀行といった第三者の介在は不要です。すなわち、これまで自明の前提とされていた中央集権という仕組みを解体することを可能にします。

③ブロックチェーンは何を生み出すのか:???

実は、ビットコインの生みの親であるサトシ・ナカモト(個人か集団かや、性別や国籍などは一切不明)は、②、つまりデジタル通貨の二重支払い防止までしか提示していません。それどころか、ナカモトはビットコインを発表した短いペーパーの中では「ブロックチェーン」「中央集権」ということばすら用いていないのです。

ブロックチェーンは何を生み出すのか。世界中の技術者や研究者、事業家などがその可能性を探るべく、日夜頭を振り絞っています。

自由、正義、国家

さて、ブロックチェーンの話は一度置いておき、簡単に「自由」「正義」「国家」について振り返ります。

本来、それぞれの概念については様々な議論があり(このサイトにも参照すべき記事があると思います)、素朴に割り切ることの弊害もありうるかもしれませんが、ここでは仮に、以下の前提を置いてみましょう。

自由:思うがままに振る舞えること。人間の究極の目的。
正義:人間の自由を擁護すること。
国家:人間の自由を擁護するための装置。

自由を疑う余地のない究極の目的とすることに対しては、概ね異論は出ないものと思います。一方、その「自由」を擁護するための正義を貫こうとするとき、すなわち国家が人間の自由を擁護すべく作動するとき、往々にして国家は、かえって個人の自由を侵害することがあります。

そのため、人間の自由を最大化すべく、国家にどのような役割・機能を持たせるか、どのような振る舞いを許すか、などが議論されます。

ですが、そもそも国家は必要なのでしょうか。国家を前提としない世界のあり方は、全くあり得ないのでしょうか。

ブロックチェーンをどのように使うか

ブロックチェーンの活用を考えるとき、国家・正義・自由の文脈においては、大きく以下の3つのレヴェルが想定されます。

  • LEVEL 1:国家による正義の執行の促進
  • LEVEL 2:国家によらない正義の執行の促進
  • LEVEL 3:正義の執行によらない自由の擁護

LEVEL 1:国家による正義の執行の促進

最も簡単で、最も面白くないと思われるのがこの階層です。すなわち、徴税や治安維持、国防などを国家が行う際に、ブロックチェーンを用いることでその業務をより効率化する段階に位置します。

たとえて言うならば、昔は紙ベースで行われていた(現在も行われている?)立法・行政・司法プロセスが、ワープロや電子メールといった新技術によって効率化された、という話と軌を同じくするもので、デジタイゼーション、単なるデジタル化の一環です。

もちろん、業務の効率化やそれに伴うコストの低減といったメリットはありますが、逆に言えばそれに留まっており、あえてブロックチェーンを用いる意義は少ないものと思われます。また、「国家による人間の自由の抑圧」という側面には全く肉薄していません。

LEVEL 2;国家によらない正義の執行の促進

先に書いたとおり、ブロックチェーンの実現した最も大きなインパクトは、第三者を介在しない取引の実現です。これは経済取引、すなわち決済に留まらず、何らかの処理を実行する仕組みそのものの非中央集権化をも達成する可能性を秘めています(例えば、イーサリアムというブロックチェーン)。

これは、国家や(中央)銀行を人間が管理する必要を低減・放棄することすら可能にするため、例えば、有名な歴史家ジョン・アクトン卿の「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」という言説に対しても、強力な対案を提示することができます。

ただし、これには大きな課題と致命的欠陥が存在します。

まず、「ブロックチェーンが非中央集権を実現する」という前提を満たすためには、まだまだ取り組まなければならない課題が多く存在します。例えば、ここまで何度も登場しているビットコインですが、その価値は大きく乱高下しており、現状とても「通貨」とは見なせない代物です(ちなみに本稿では取り上げませんでしたが、国家と市場の関係、とりわけ「国家なくして市場は成立するか?」といった議論もあります)。また、そのビットコインのブロックチェーンは、実際には少数のマイナーによって事実上意思決定の大部分が行われてしまっており、非中央集権が完全に実現されているわけでもありません。

また、仮に以上のような課題を全て解決したとしても、あくまで国家の持つ権能をブロックチェーンのプロトコルが実現する状態のままであり、例えばアイザイア・バーリンの言う「積極的自由」をブロックチェーンが擁護することそれ自体の議論などは何も深まっていません。つまり、人間の介在が原因でない国家の弊害は、これと別に考える必要があるのです。

イメージとしては、人間ではなく人工知能が統治する「国家」に置き換わったに過ぎないようにも思えます。

LEVEL 3:正義の執行によらない自由の擁護

この段階は、受動的なもの能動的なものの2種類に分かれます。

クリプト・アナーキズム」という立場を取る人々がいます。これは、(ブロックチェーンを含む)暗号技術を用いて、国家や権力者からの自由の侵害に対抗する、という考え方です。定義にもよりますが、ハッカー集団のアノニマスや、元米国国家安全保障局のエドワード・スノーデンらを「クリプト・アナーキスト」と呼ぶこともあります。彼ら/彼女らは、いわば受動的に、自由を実現すべく活動している、と見なせます。

他方で、能動的、つまりブロックチェーンを用いて、別の自由を侵害しかねない「正義の執行」ではない世界を創造することも、論理的には考えられます。ただし、現時点でそのような思想・実践は、寡聞にして知りません。しかし一方で、ここにこそブロックチェーンの発揮すべき真価があるものと考えます。

まとめ:ポスト国家時代のブロックチェーン

本稿の前半でも説明したとおり、ブロックチェーンが何を生み出すのか、その全貌はいまだによく分かっていません。

それでも、少なくとも国家などの「信頼できる第三者」なしに取引を行う、という仕組みは、まだ誕生してから10年と少ししか経っておらず、その可能性は未知数です。

ブロックチェーンが今後、国家の中に留まるのでも、国家を代替するのでもない、ポスト国家時代の新たな技術的・思想的基盤となるためには、これまでに積み上げられてきた「国家」の思想からはるかにジャンプしたアイディアやその検証が不可欠となります。

そのためには、自然科学、社会科学だけでなく、人文科学をも巻き込んだ、包括的な議論が行われることが大変望ましく、暗号理論やゲーム理論、コンピュータサイエンスから法学、社会学、さらに哲学や歴史学などの学際的な知見が大いに求められます。もちろん、ブロックチェーンだけでなく、AR/VRやAIの技術なども関わってくることでしょう。

また、いたずらにふわふわした議論になることを防ぐべく、まずはブロックチェーンの技術そのものや、国家や市場、社会、正義のあり方についての、徹底した分析も必要です。

冒頭にも書いたとおり、ブロックチェーンは、それ自体わたしたちに自由な発想の喚起常識の解体を引き起こします。

中世の農奴が領主の支配から逃れ、都市の空気に感化され、そして1年と1日後に「自由の担い手」となったように、現代のわたしたちも国家の物理的・思想的なくびきから解き放たれ、ブロックチェーンという翼をはためかせて、真に自由な世界を目指し飛翔できる、というのはわたしの言い過ぎでしょうか。

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この記事を書いた人

ブロックチェーン業界に身を置く。自由を実現するための哲学や技術を探求中。

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