加速主義とは?リバタリアニズムとの関わりについて

加速主義と呼ばれる考え方についてざっくり解説します。

目次

加速主義とは?

加速主義とは簡単に言うと資本主義をもっと推し進めて、つまり加速させて社会変革を起こそうという考え方です。

資本主義を推し進めて、テクノロジーの進展を促し、そこから生まれる技術革新を用いることによって、資本主義を変革させようというのが加速主義の基本的な姿勢です。

左派加速主義

資本主義批判の文脈はこれまで、
「グローバルで一元的な資本主義の超大国vsローカルで多元的な、国家を超えた連帯」
みたいな図式でよく展開されてきました。(めちゃくちゃざっくりです)

しかし、グローバルな資本主義が拡大するにしたがって、それに対抗することが難しくなってきました。
だったらいっそのこと、

コントロール可能な形で資本主義を加速させるほうが得策じゃね?

と考える人が出てきたわけです。それが左派加速主義と呼ばれるものです。

左派加速主義は資本主義者たちによる右派加速主義に対抗する形で生まれてきた考え方でもあります。
その中身は資本主義とテクノロジーの発展を極限まで推進することで生産活動の自動化や労働日数の短縮、ベーシックインカムの支給などを実現するという考え方です。

左派加速主義の特徴の一つとして従来の左派的な政治学であったデモやプラカード行進あるいは一時的な自治の空間構築といった手法を厳しく批判します。


結局これらの方法は自己満足であり、現実の問題解決に何一つ寄与していない、というのが批判の理由です。

右派加速主義

今まで見てきたのが左派加速主義ですが、左派もあれば右派もあります。
今度は右派加速主義について見ていきます。


右派加速主義の代表的な論客であるニック・ランドは、90年代から加速主義に関して積極的に発信を続けてきました。


右派加速主義は左派加速主義よりも、もっと欲望に忠実な印象があります
70年代フランス現代思想が持っていた「資本主義が持つ欲望の解放」という考え方を引き継ぎ、資本主義を推進させてシンギュラリティと呼ばれる技術革新を起こし、その過程で現行の民主主義や平等主義の欺瞞を暴きより国家のもつ権力を縮小させようというのがニック・ランドの考えです。

左派加速主義は加速を合理的に、理性によってコントロールしようという思想ですが、右派加速主義はコントロールは一切せず技術革新に身をゆだねる点で異なります。

ちなみに、左派加速主義・右派加速主義の他にも無条件加速主義というものもありまして、これは加速主義において政治性を主張しないという考え方です。

他の思想との影響関係

まず加速主義を語るうえでよく出てくるのがドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』です。
この本では、資本主義には脱領土化と再領土化のプロセスがあるとしています。
いったん専制国家から権力が解放されたものの、貨幣や資本主義に権力が再び集まることを脱領土化と再領土化と呼んでいます。
加速主義はこの中でも脱領土化のプロセスを推し進めることを主張しています。

次にあげられるのが思弁的実在論です。
これは脱人間中心主義的な考え方で、「様々な現象は人間の認知で生まれるよね」という相関主義を批判して、「いやいや現象はそれ自体あるでしょ」という考え方です。

例を挙げるとグレアム・ハーマンのオブジェクト指向実在論は、個々の対象=オブジェクトは絶対のものだ!と考える思想です。この思弁的実在論は加速主義に対して理論的な体系を与えると論じられていますが、私の方ではまだまだ理解できておりません。

そして、リバタリアニズム。特に、テクノロジーと結びつきの強いテクノリバタリアニズムです。
テクノロジーを第一と考えそれに制約をかけるものを批判するテクノリバタリアニズムは、ニック・ランドの右派加速主義と非常に相性がよいです。

実際、ニック・ランドのテクストには、テクノリバタリアニズムの代表である起業家のピーター・ティールの思想が色濃く反映されています。

私見

右派加速主義も左派加速主義も結局技術革新任せであり、かといって自分たちは技術を生み出すわけではなく、加速のプロセスを丸投げしているのが正直な印象です。

プロセスを加速というけれど、どういった技術革新によってどのプロセスが加速されるんですか?といった議論において、地に足ついてないなというのが正直な感想です。

また左派加速主義は技術を制御すると言ってるけど、経済がなかなかコントロールできないように技術もコントロールできるわけがないです。

コントロールされた技術開発で技術革新生まれるんですか?

もちろん加速主義的な考え方をしているのは思想家だけにとどまらず、リバタリアンや技術者でもシンギュラリティ論と関連して加速主義っぽいな~という考え方はよく見られます。

例えば、落合陽一氏は加速主義的な思想や言動があると思います。
ただ、加速主義と落合陽一の思想はシンギュラリティ後の世界の考え方があるかないかでも異なるように思えます

加速主義自体はあまり魅力的には感じませんけれども、こういう考え方が提出され現代思想して上がってくること自体は非常に興味深いと考えています。

昨今、資本主義の今後について議論・話題になることが増えてきました。日本をはじめとする先進国が今後も経済成長できるかどうか、あるいは経済成長の道を進むべきかという議論が増えてきています。

私自身、日本に住んで働いている身として、人口減少し高齢者が増えていく中で今後も日本がグローバルな資本主義の中で
戦っていけるのかと問われると、結構難しい部分があるのではと思います。

かといって資本主義に代わるに足るシステムは現状見出すことができませんし、有力候補であった社会主義もソ連の崩壊で下火になりました。

こうした状況下で、
「俺たちこれからどうなるの?」
となって今後について考えをめぐらすのは、自然な流れなのかなと思います。

私自身、未来がどうなるかは全く分かりませんが、思想の最先端に触れつつそのさわりだけでも紹介できればと思ってます。

参考文献

現代思想 2019年6月号 特集=加速主義 -資本主義の疾走、未来への〈脱出〉 https://amzn.to/3ftmaaK
暗黒の啓蒙書 単行本 – 2020/5/20 ニック ランド (著), 五井 健太郎 (翻訳), 木澤 佐登志 (解説) https://amzn.to/2SaPiM4
現代思想 2019年5月臨時増刊号 総特集=現代思想43のキーワード https://amzn.to/3bAz2KQ
樋口恭介. 【備忘】加速主義覚え書き. 2019. https://note.com/kyosukehiguchi/n/n76…

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この記事を書いた人

東京大学文学部卒。
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